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東京高等裁判所 昭和26年(ネ)2385号 判決 1953年9月21日

控訴人 被告 大原盛三 大原律郎

訴訟代理人 川添清吉 外一名

被控訴人 原告 平光兼一

訴訟代理人 佐野源次郎

主文

原判決を次のように変更する。

控訴人らは連帯して被控訴人に対し金二十一万六千九百三十六円及びこれに対する昭和二十五年三月二十日から支払ずみにいたるまで年五分の金員を支払うべし。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを三分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人らの各負担とする。

この判決は被控訴人勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

控訴人ら代理人は原判決を取り消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は被控訴代理人において甲第七号証の一、二を提出し、当審における被控訴人本人尋問の結果を援用し、乙第一、二号証の成立はいずれも知らないと述べ、控訴人ら代理人において乙第一、第二号証を提出し、当審における証人恒本龍一の証言及び控訴人大原律郎本人尋問の結果を援用し、甲第七号各証の成立を認めると述べた外、すべて原判決の事実のらんに記載されたとおりであるからここにこれを引用する。

理由

控訴人大原盛三と控訴人大原律郎とは親子であり、訴外野口博が控訴人律郎の妻の父であること、本件ラジュウム(ケース入三個一組約三〇ミリグラム)が控訴人盛三の所有であることは当事者間に争いがない。

右事実と成立に争いのない甲第二号証、同第三号証の一、二原審における証人野口博の証言により成立を認めるべき同第一号証の各記載と右証人野口博、原審における証人富谷重治郎、同阿部賢治の各証言、原審及び当審における控訴人本人、原審における控訴人両名(但し後記信用しない部分を除く)各本人尋問の結果とをあわせると次の事実を認めることができる。

控訴人盛三は婦人科の開業医でかねてからがんの治療に必要といわれるラジユウム(本件ラジユウム)をフランスのキユーリーラジユウム研究所から買受け、これには純粋である旨の同研究所キユーリー夫人の証明書が添えられていたが、同控訴人は医院の建築資金を得るために右ラジユウムの売却を決意し、昭和二十四年二月頃野口に対し同人の名においてこれを金百万円以上で売却することを委任し、同人に右証明書とともにラジムウムを引渡したこと、野口は上京してその売却につき奔走したがそのため多額の金を使いはたし滞在費運動費等に窮するにいたり訴外阿部を介して被控訴人に援助方を申出たので、被控訴人は同年五月二日金五万円翌日金十万円を利息の定めなく貸与し、ラジユウムが売却された時返済を受けることと定めたが、その後も右売却ができないままにさらに出金をたのまれ同年八月末頃迄に数回に金四十一万円を貸与したところ、同年九月一日野口と協議の上右貸金合計五十六万円の弁済期を同月三十日限りと定め、その担保として前記ラジユウム(証明書附き)に質権を設定してその引渡を受けたこと(もつとも右貸金の外被控訴人は謝礼として金二十万円を野口から右貸金返済と同時に支払を受けるべく、これも担保の対象に含ませたものである)、その際被控訴人は右野口がその名において右ラジユウムを売却するために奔走し、ラジユウムには自分を所有者と表示したがん研究所の品質鑑定書第五三三一号をも添えており、真実野口の所有であつて従つてもちろん同人には質入の権限もあるものと信じていたこと(この点につきその際野口は控訴人に野口の所有でないと告げた旨の前記証人野口博の証言は信用できない)、一方控訴人盛三はこのことを知らず野口の売却がはかどらないので控訴人律郎に命じてその取戻又は売却代金の回収をさせることとし、控訴人律郎は上京の上同年九月九日被控訴人と会見してラジユウムは控訴人盛三の所有であることその他右の次第を話したところ、被控訴人は控訴人律郎にラジユウムは野口に対する債権の質として自分が占有していることを告げ、なお野口はラジユウムを三千万円程度で処分する奔走を続けているから、至急にその実現をはかり債務の支払をするよう尽力方を求めたので、控訴人律郎もいつたんはその諒解を与えたが、同控訴人は間もなくラジユウム売却の実現は困難と見て売却代金の回収に不安を抱き、むしろこの際ラジユウムを取り戻して持ち帰ろうと考え、同月十九日被控訴人に同控訴人の勤務先である大沢商事株式会社(本店大阪市)社長恒本龍一が買受の希望を有したまたま上京しているからこれに見せたいと申向け、現物を所持した被控訴人と同道の上同会社の東京支店にいたり、被控訴人を別室に待たせて社長に見せるからちよつと貸してもらいたいとて、被控訴人をして現物を見せたら直ちに返してくれるものと誤信させた上、これを受け取り、いつたん右恒本に見せた後さらに同人よりこれを受け取つてその二三日後に控訴人盛三にこれを引渡したこと(その頃控訴人律郎が被控訴人から右ラジユウムを受け取り、その二三日後に控訴人盛三が控訴人律郎からこれを受け取つたことは当事者間に争いがない)、そこで被控訴人は同月二十三日頃控訴人盛三方に赴き右のいきさつで控訴人律郎が被控訴人をだまして質物を持ち帰つたものである旨を告げてその返還方を求めたところ、控訴人盛三はいずれ大阪方面で売却の上のこととしたいと答えてその引渡を拒んだまま今日にいたるまでこれを占有しているという次第である。

以上の認定に反する原審における控訴人両名、当審における控訴人律三の各本人尋問の結果は信用できず、当審における証人恒本龍一の証言によつては右認定を左右するに足りず、その他に右認定をくつがえすに足りる的確な証拠はない。

以上の事実によれば野口において自己の債務の担保のため本件ラジユウムを質入する権限はなかつたけれども、被控訴人が右質物は野口の所有であつて同人には質入の権限があるものと信じたのは控訴人盛三が野口にその名において本件ラジユウムを売却することを委任し、野口はその委任事務処理のためこれを所持して自己の所有として売却に奔走しており、かつ自己を所有者と表示したがん研究所の品質鑑定書までそえていたことにもとずくのであつて、このような事情のもとで被控訴人が野口をラジユウムの所有者と信ずるのはまことに無理からぬところであつて、従つてまた所有者である以上はもちろん質入の権限もあるものと信ずることも自然のなりゆきであつて、これをもつて過失ありということはできない。もちろん本件ラジユウムのような物件はがんの治療に関係ある医師とか研究者とかその他特殊の人の所有するものであつて一般の人が所有することはまれであるとはいい得るのであろうが、右のような事情と同様の場合にその道の関係者でない者でもラジユウムについて処分の権限をもつことはあり得るところであつて、ラジユウムが特殊の物件であることによつて直ちに被控訴人に過失があるものと断定すべきものではない。すなわち被控訴人の占有の取得は無過失であつて、その善意、平穏、公然になされたことは推定せられるところであるから、被控訴人は右ラジユウムの上に有効に質権を取得したものというべきであり、その結果控訴人盛三は所有者としてその所有物の上に質権の負担を受け、質権設定者(物上保証人)と同一の立場に立つものというべきである。

しかして被控訴人が控訴人律郎に質物を交付したのは欺罔にもとずくものとしても現にその占有を失つた以上、被控訴人の質権は第三者に対抗することを得なくなつたもの(民法第三百五十二条)といわなければならない。およそ質権は、質権者が目的物を占有し、他の債権者に優先して目的物の価格を自己の債権の満足に供し得る効力を第三者に対抗し得てはじめてその本来の面目を発揮するものであるところ、質権者がその占有を失い、質権が第三者に対する対抗力を失うにいたつたような場合は、その質権とはたんに名のみであつてその実は全く無にひとしいものといわなければならない。もちろん本件において右質権は質権設定者と同一の立場に立つ所有者たる控訴人盛三に対してはなお存続し、しかも同控訴人が質物を占有している以上、これに対して質権の効力として法律上その引渡を求め得るものであることは明らかであるが、控訴人がその引渡を拒んでいること前認定のとおりであるから、これに対してはあらためてその引渡の訴訟を起し勝訴の判決を得てその強制的実現をはかる外に方法なく、しかもそれまでの間特に仮処分によつて権利保全の方法を講ずればかくべつ、然らざる限り同控訴人は任意にこれを第三者に対し譲渡その他の処分をし得ることはもちろん、第三者がこれを強制執行の対象とすることも可能であり、それは第三者の善意悪意ないし過失の有無等に関係なく有効になされ得るところであり、そのことは現にかかる瞬間においても行われるかも知れないのであるから、かような事情を考えると、所有者に対して質物引渡の請求権があるとの一事は、他になんらか特段の事情がない限り、右質権の価値が没却されたことを否定せしめるものではないといわなければならない。

控訴人律郎が故意に右のような事態をひきおこしたものであること、控訴人盛三が故意にその質物の返還を拒み右の事態を実現せしめていることは明らかであり、しかも控訴人らの行為はこの点において競合しているものというべきであり、これによつて被控訴人がその質権を侵害されたことはもちろんであつて、控訴人らは、共同不法行為者として、よつて生じた損害のある限り連帯責任をもつてこれを賠償すべき義務がある。

よつてさらに右損害の点について検討すると、前記のとおり被控訴人はその質権の価値を無に帰せしめられたものであるから、これについて損害を生じたことは当然の筋合であり、本件において債務者である野口が無資産であつて、被控訴人に対する債務の支払資力のないことは原審における証人野口博の証言及び本件口頭弁論の全趣旨から明らかであるから、被控訴人としては右質物の価額によつて右債務の満足を得られたであろう範囲において損害をこうむつたものといわなければならない。本件ラジュウムの価額については各関係者においてその見るところを異にすることは証拠上これをうかがい得るけれども、当審における証人恒本龍一の証言及び本件口頭弁論の全趣旨によつて当裁判所が真正に成立したものと認める乙第二号証の一、二の記載によれば、昭和二十六年二月頃本件のものと同様のラジュウムの価額は一ミリグラムについて米貨二十弗であることが認められ特段の事情の認めるべきものがないので右価額は昭和二十四年九月当時も同様と解されるから本件ラジュウム(その正確の量は三〇、一三ミリグラムであることは原審証人野口博の証言により明らかである)の価額は金二十一万六千九百三十六円であると認定すべきものである。右認定に反する証拠は採用しない。

しからば被控訴人が控訴人らの不法行為を理由とする損害賠償の請求は右金二十一万六千九百三十六円及びこれに対する少くとも本件訴状が控訴人らに送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和二十五年三月二十日から支払ずみにいたるまで年五分の遅延損害金に限つて理由があるものというべきでその他の請求は理由がない。

次に被控訴人は予備的請求として昭和二十四年九月二十三日控訴人盛三は被控訴人に対し本件ラジュウムを大阪方面で売却して野口の債務を支払う旨を約して債務の重畳的引受をしたと主張するけれども、被控訴人の全立証によつても控訴人盛三が右のように野口の債務の支払を約した事実を認めるには十分でないから、被控訴人のこの点の請求は失当である。

しからば控訴人両名は被控訴人に対し連帯して前認定の金員を支払うべき義務があり、被控訴人の本訴請求は右の限度で正当として認容すべきであるが、その余の部分は理由のないものとして棄却すべきものであるから原判決を右のように変更することとし、訴訟費用の担負につき民事訴訟法第九十六条、第八十九条、第九十三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 藤江忠二郎 判事 原宸 判事 浅沼武)

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